三浦春馬さん


三浦春馬さん、なんというか「居て当たり前」と思っていた。

テレビ、映画、舞台。

いつも何かに出ていて、名前を検索すればすぐに見れる存在、というか。

だけどそれは、本人がお仕事を頑張ってくれていたからなのだ。稽古してセリフを覚えて演技して‥そんなことを続けてくれたから私は当たり前のように彼を観れていたのだ。


亡くなった、と報道があったその日に観た映画の彼があまりにもカッコよくてびっくりした。こんなにカッコいい人を「当たり前」に観ていたのかと。

 NHKの番組の彼も凄く素敵だった。

世界の色んな素敵なものを見ながらコメントする彼はとてもイケてる「男性」だった。

歌が上手くて踊りも上手くて、ミュージカル界で輝いている彼は俳優としてどんどん階段を上がっているんだな、とお茶の間の一般市民として感じていた。

私が好きで観ていたドラマにも、「実は」出ていたこともあって(思い返せば三浦さんなんだけど、「三浦さん」として観ていなかったら‥)大河ドラマの殿の役だったんだけど、本当に、すごーく素敵だったの。

あの笑顔!あの笑顔の人懐こさ、滲む優しさ!笑顔になれる人間は沢山いるけど、「あの笑顔」は間違いなく三浦さんだけのものだった。



お茶の間の人間も、報道陣も、見ているのは俳優三浦春馬さんとして表に立っている彼だけ。だから彼が本当になにを考えていたのかなんて、結局誰にももう分からないのだから報道しなくていいよ、と思ってしまう。

それを知ろうとするのは、近しい人だけでいい。知って欲しいと三浦さんが願う人だけでいい。そう思う。



どうか安らかであって欲しい。

楽しい思い出だけ持っていって欲しい。




間宮祥太郎さんの凄さを話したい

間宮祥太郎、とのファーストコンタクトは「戦国鍋TV」である。



初登場は2012年。番組が再スタートして一発目に、彼は現れた。


戦国鍋は沢山のコーナーがあったが、その殆どに同じキャストが出演していたので何回か見ていれば「顔馴染み」の俳優さんが出てくる。が、再スタート後には出てくる俳優さんにも新しく、若い世代がドカンと増えた。

再スタート前にすでに出ていた俳優さんたちはまるで「先輩」のような感じになり、こちらもかなりフレッシュな気持ちになったものだ。

そんな中、人気コーナー「MUSIC TONIGHT」で、既に戦国鍋TVで数多の人気キャラクターを演じていた村井良大さんの二番手のような形で登場したのが間宮祥太郎さんであった。




彼は当時19歳。私の中では「新人さん」の認識だったけど、とにかく目を引いた。

まず、佇まいが不自然ではないのだ。

「新人さん」の中にはやはり滑舌が不明瞭だったり演技が不自然でベテランが達者な分浮いてしまうということが実際あったのだけど、間宮さ‥もう間宮くんって呼んでいい!?ごめん!敬称略!

間宮くんはそれがなかった。

「歴史上の有名人がアイドルグループとして歌い踊る」というコーナーなので、

他の出演者(歴史上の人物)と自分の役の関係性や史実を覆さない演技をしつつ、「音楽番組」の設定なのでアドリブも交えて軽快にトークしなければならない。

その設定に慣れている同コーナーに出演歴のある先輩たちと並んで彼は遜色なかったのだ。

だからこその二番手だったのだと今なら分かる。ただの新人ならばそれはあり得ない席順だったからだ。


そして彼の顔立ち!体の作り!これは間違いなく目を引いた。イケメンも、スタイルの良い人間もわんさかいた番組なんだけど、優劣ではなくて彼のそれはちょっと次元が違うものだった。あんなに頭に残る顔はないのに、手足が長くてタッパがあるのでその身体で踊られた日にはもう投げ銭するしかなくなっちゃうわけです。


自分の持っている武器を分かっていて、それを潔く惜しみなく客席に対してまっすぐに使うものだから人は彼から目が離せないのだ。


「この子は売れてしまう‥!」と思ってから、約8年。彼は全国ロードショーの映画に出まくり、ゴールデンのバラエティ番組にも当たり前のように出演し、朝ドラにも大河にも出演を果たした。

この状態を「売れた」と評してしまうのはやはり戦国鍋TVというローカル番組でアイドルを演じていた彼、少し年上の俳優さんたちに可愛がられてにこにこしていた10代の彼を‥知っているからで‥(母の顔)


だからこそ、なかなかちゃんと彼の出演作を観られていなかったのだけど(なんとなく役ではなくて”間宮くん”を見てしまう気がして)


帝一の國」をちゃんと観たら、素晴らしかったよ。


彼は自分のもともと持っている武器をきちんと生かしながら、着実に積み上げた演技と存在感でそこに居た。


帝一の國が予想以上に素晴らしかったので、この勢いで「ライチ⭐︎光クラブ」を観たいですね。間宮ジャイボ、楽しみすぎます。


戦国炒飯TVと、村井良大さんに寄せて

戦国鍋TV」という一大コンテンツをご存知だろうか。

その素晴らしさは後日語るとして(絶対に長いから)今日は村井良大さんの話をしよう。

村井良大さんは俳優である。
年齢は今年で32歳。千葉雄大さん、佐藤健さんと同い年です。なんか若くてびっくり。

戦国鍋TVを語る上で、まず村井良大という人を語らないわけにはいかないと思う。
戦国鍋TVは、俳優たちが文字通り歴史上の人間に扮するわけなのだが村井さ‥もう村井くんと呼んでしまうが番組内で彼はとんでもない数の役をこなしていた。
「兼役」なんて呼ばれていたが、洒落ではなくて戦国鍋TVで彼を見ない回はないというくらい出ていた。

世の中、何をどうもって「演技が上手い」と評するのかは分からない。
が、村井くんはとにかく「役者に向いている人」なんだと思う。普段の彼(メイキングなんかに写っている部分、という話)はなんとなくボーッとしているというか、過剰に騒いだり声を荒げたりしない人という印象だ。
ブログもやっていないしSNSもない。
彼が自分のことを発信する場は極端に少ない。が、彼はどんな役でもやれてしまう。

うるさい役。面白い役。ヘタレに横暴に関西人。熱い男‥

大抵の人間には「ベース」がある。
賑やかな人、根暗な人、そういう人は上にどんな役を塗り重ねても時折素地が見えるものだけど、彼の場合は見えないのだ。
我々に見せている彼の素地は、どちらかと言えばワイワイ騒ぐことのない、おだやかな人という感じなんだけども。

バカみたいに大声を出す熱い男をやっても、運動音痴のへたれをやっても、横暴な殿様をやっても、まったく違和感がないのだ。

俳優はいわゆる「中の人」であり、
演劇というのは「その本人ではないことを客も理解した上での茶番」つまり着ぐるみがなにか喋っているような、ミッキーが着ぐるみだとみんな知っているのに「まるで知らないように感動している」ような滑稽さがあるはずなのに

舞台上の村井良大にはないのだ。

「舞台上の架空の存在」を着ぐるみだと思って剥がしてみたら、筋肉と内臓が出てきた、みたいな状態だ。

彼は架空の存在を生身にできるのだ。
彼は「中の人」‥着ぐるみのスーツアクターではなくて、血と骨と内臓になれる、希有な人だと思う。

架空の存在こと役のモノマネをするのではない。それを”演技が上手い”と評するのはなんだか軽すぎる気がして、私は”血肉になれる人”と呼びたい。

戦国鍋TVに彼が出まくっていた時、彼はまだ20代前半だった。信じられないとしか言いようがない。戦国鍋TVの現場には、彼より年上の俳優も芸歴が同じくらいの同世代の俳優も駆け出しの若手も入り混じっていたはずだが、彼はそこにまるで「座長」のように存在していた。
誰よりも役を多く演じ出演回数もダントツ、そしてなにより戦国鍋TVが大ヒットするきっかけとなった役を演じ抜いた彼には重鎮という言葉がしっくりきていた。そんな彼がその時20代前半だったわけか‥信じられないな。


彼の戦国鍋TVでの真骨頂は2013年の「武士ロックフェスティバル」だろう。
2時間強のライブで一人8役を兼ね、舞台裏で汗だくになりながら早着替えし、彼よりも兼役数の少ない俳優ですらダウン寸前だった舞台で彼は最後まで全ての役を演じ分け歌い切り踊り抜いたのだ。
それを嘆きもせず自慢もせず、淡々と。
彼の代わりはいない。
それを強く思ったLIVEだった。




彼はここ数年、ミュージカルへの出演がぐんと増えている。
「RENT」「Death note」の主演。というか、出演する舞台、ミュージカルで主演でないことの方が少ない気がする。
彼よりも歌が上手い人間も、背格好がいい人間もいるかもしれない。けれど彼は主演に選ばれるしとにかく出演作品が途切れない。

彼には選ばれる理由が確かにある。
今、観に行くべき俳優の一人であると私は思う。
その理由を知りたい、観たい、と心の底から思う。


2020年は、村井良大さんを観たい。

劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~ を観た民の感想

成仏しました



バッキバキにネタバレです!!!!
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まず、色々な気持ちがこみ上げた。
深夜帯の単発ドラマに過ぎなかった作品が、忘れられた頃にまさかの連ドラ化。
1時間未満の中でこちらの予想を遥かに上回る事ばかりが起き、毎回喚き、叫んだ。
録画を見まくり、ツイッターで叫び、雑誌を買い、ご本尊様の舞台にも行き‥
同性同士の恋愛がどうの‥というものを超える素晴らしいものを毎回観せてもらったのだ。
私はこの作品で本当に愛というものの素晴らしさを教えてもらったし

劇場版でも再確認した
愛に勝るものはこの世にないです(断言)


本当に素晴らしい作品だし、単発からここまでついてこられた自分の運の良さたるや。
一生自慢するし、多分一生忘れられない時間になった。



劇場版の話に戻ります。

さて、一年ぶりに見るはるたん、牧‥って牧めちゃくちゃ可愛いな!?!?
嘘やろってくらい可愛い。
なんだあれ、久々にツイッターで踊り狂っていた季節を思い出しました。
お目目キュルンキュルン!!
あたまの形!!!!!!

すげ〜あれがおヨメに?お婿に?
いやもうなんでもいいけどあの子がおヨメに来る春田すげえな!?











ドラマは、とにかく二人が自分の中の障害を越えて結ばれるまでの話だったじゃないですか。二人とも「男同士」だって事へのそれぞれのしんどさを抱えていて、それでも最後は
「好きだから」で乗り越えて結ばれたじゃん。私あれを見て、ああいいなって思ったんですよ。

人と人が結ばれる理由なんて、そんなものでいいんだなって。
きっかけがどうのとか、周りがどうとか、究極そんなものは愛には勝てないものなんですよきっと。
好きだから一緒にいたいよ
の手段としての「結婚してください」だったわけで、それは春田君の中で「一緒にいたい」の最上級の伝え方だったわけで‥

でもあの後すぐに春田は海外に行ってしまって、物理的にたくさん話せる時間なかったんだろうな。
「結婚」という口約束ができた事で春田も牧もきっと安心しきっていたんだと思うし、

ていうかこの二人それほど長く付き合ったわけではないので
(交際数ヶ月、別れて一年、婚約後すぐ遠距離で一年)

春田プロポーズまでの壮絶な道のりを知らない会社の人間とかからしたら
「え、こいつらマジで結婚するんやろか‥」って思うくらいの感じなのに、そこに危機感がないのが我らがはるたん、だがそこが春田‥

そして牧君も、本当の意味でやっぱり元ノンケの春田を信用しきれないというか、
せっかくプロポーズまでしてくれたのに現実問題持ち出すとこの夢のような状況が壊れてしまうのでは
という恐怖感からか、きっと話をしなかったんだろうなぁ
「男同士は日本では結婚できないですよ」とか
「子供好きなんでしょ」とか
「親にはなんていうの」とかさ。
ゲイとして生きてきたからこその、春田とは違う苦しさはドラマの時からあったし、
本当のこと言っちゃって、春田にかかった魔法が解けたら嫌だなってきっと思ったんだろうな
まきく〜〜ん(泣)


春田は「結婚しよ!」って言った時点でもう俺らは家族!って思ってるわけだし
牧はいつまでも幸せを噛み締めたいからこそ何も言わないわけだし

つまり二人ともよっしゃー今から市役所か海外行こうぜ!?

という行動には結びつかなかったわけで‥

そこは天然ボケ男と気付きすぎるが故に何も言わない男、
という二人が悪い方向に作用し合ったな〜という感じ。



牧君は春田が何も言ってこない間は幸せに安定した気持ちで生きていけるわけで
仕事にも邁進していて
春田は春田で、帰国したら愛しの牧がそれはそれは喜んで
創一❤️ご飯にする?❤️お風呂にする?❤️それともさ❤️
を毎日裸エプロンでやってくれちゃうくらいの甘甘な日々がくるんじゃないのかな〜〜
とか期待してたんじゃないかな??
だってようやく一緒に住めるんだもの、期待するよね?
春田の中では婚約済み❤️でな〜んの障害もない、つもりなわけだし。
でも牧は「結婚してください」がなかったことになってんのかな、くらい
しら〜〜っとしてるしお仕事お仕事だし、という可哀想な二人。
何も言わない牧と気づけない春田。うう、起こるべくして起きているすれ違い‥

だけどお互い大好きなのが要所要所で本当に見えてたまらんかったよ。
牧君、「恥ずかしいところを見せられない」から何も言えないくせに
嫉妬の仕方えげつないからね
もうだいぶ素出てるし、はるたんはやっぱりそこで牧の愛を知るべきよ(泣)

嫉妬、と言えばそれば原因で春田は牧に別れようって言ってしまうわけだけどさ。
嫉妬、は相手が好きだからするものなんだよね(泣)
お互い好きなのは変わらないし、春田にとっては性の対象とか自分の将来とか
ぜーんぶあげられるくらいの相手であることには変わりないんだって思って、
本当にしんどかった。

二人とも好き合っているのに、言葉足らずだったり相手の事でモヤモヤしすぎて上手くいかないって
6話の再現かな!?(血涙)

だけどそういう時、周りの人が助けてくれるんだよね。この二人は。
本人だけで解決しきれない時に、言葉をくれて背中を押してくれる人は
ドラマでは部長であり、マイマイであり、ちずであり、マロであり、政宗であり
映画では狸穴であり、ジャスティスであり、部長だった(泣)

二人は大人だけど、完璧な人間ではないからね。
これからもきっといろんな壁にぶつかりながら、でもたくさんの人に支えられて、生きていくんだろうなと思いました。

きっと世界のどこに行っても牧君は春田のいる街に帰ってくるのだろうし
春田は牧の帰ってくる場所を守って待っているんだろうなと思うし
たまたま出会った二人がここまでの関係になる理由が
ただそれだけなのだとしたら、
本当に愛というものは世界で一番尊いものだと思いました。

薬指に輝くシルバーの指輪が本当に眩しくて、二人のキスが、抱擁が嬉しくて
無事に成仏しました。

あれだけ悩み抜いて苦しんで「春田さんなんか好きじゃない」と言っていた牧君と
同性だからと、外で手を繋ぐことすら拒否していた春田がさあ

本当に二人で生きていくんだな〜〜〜〜と思って。

本当に良かったねって。


二人が出会ったその日から見てきた人間としては

もう幸福しかなかったのです。
色々あったね。でもちゃんと結ばれたね。凄いことだよね。
二人も、周りの人も、たくさん泣いて苦しんでもがいて、それでも一生好きな人の側にいるために頑張りぬいた
彼らは本当に凄いと思うのです。

ちゃんと二人で、この世界で、いろんな人に愛されて生きていってほしいな。
幸せに歳を重ねてほしいな。
そう思いました。そう思えました。




ありがとう、おっさんずラブ!!!!!!









劇中、マトモな抱擁は2回、キスは1回。
本当に大事に大事に使ってましたが、凌太と!創一が!
本当に互いを慈しみあっているのが
ありありと分かってね!!!
素晴らしかったです。
お互いに背を向けて、振り返らずにまっすぐ歩き出す二人に、
二人の間にある愛の強さと深さへの信頼が伺えました。

でもきっと嫉妬はするんだろうな(笑)
牧がイケてるスペイン人(妄想)とかと写メ送ってきたら
「ねえ距離近くない!?ねぇ!?」ってなるんだろうな春田。幸せだね〜本当。
春田創一さんと牧凌太さんに幸あれ。
君達に出会えて良かった

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ただの同僚だったお二人が一生を捧げ合うに至ったって、なんだか感慨深いですね本当に‥

「サメと泳ぐ」を観てきた感想 青は死の色

サメと泳いできた ねたばれ感想



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死は青い光を放ち、サメは死神である


「死は青い光を放つ」そうだ。死にゆく線虫に紫外線を当てて観察していると、
死の過程で青い光を放ち、死の瞬間最大に達し直後に消える。

「サメは死神(死の象徴)」というのは私がBBCのシャーロックS4を観て個人的に意識してるいることで
「サメと泳ぐ」の劇中、何度も青い光で照らされる舞台を観て あ〜不穏だな〜と
ワクワク(オイ)していた。


観劇開始、誰かが誰かに銃口を向ける不穏なスタート
ヴィヴァルディの四季より「冬」がかかって・・

https://youtu.be/PPgMbXAqkH4



私「ジョーズかな????」

サメってそっちかよ!!!!!!!「サメ」という題名に引っ張られすぎて
リズムといい不協和音といいジョーズ迫ってくるBGMにしか聞こえない!!!
パニック面白舞台なの!?
と思いつつのスタート(笑)(っている場合ではない)




ガイ(田中圭)は何度心の中ではるたんやん
と呟いたことでしょう。

TBSドラマ「おっさんずラブ」で田中氏が演じていた
素直で、バカで、一生懸命なリーマン「はるたん」にそっくりなのです。
一生懸命。素直。そして脳年齢が80歳なんだよ!!!(半ギレ)
バディ(田中哲司)が「こいつは頭が悪い」といっていたのですが、
分かるーーーーーってかんじ。

でも素直なんだよ。人間誰でも分かれ道があったら「自分に得がある方」に進むよね?
ガイの場合はそれがひっじょーーーに分かりやすいというだけのことで。
この場合の「得」は

・ドーンを喜ばせること、ドーンの恋人になれること
・一流の脚本家になること、バディに認められること

であって、つまり
恋&仕事どっちも成功したい!
っていう誰しもが当たり前に思うこと。

他の人なら「無理だな」「やめとこ」ってなりそうなところを
自分にも他人にも素直なガイは分かれ道でしっかり自分の得になるほうを見つけて、
そっちに進めるんですよ。
そして、人に影響も受けやすいんですよ。



私、ガイが特別野心家であるとか、そういう風には思わないんです。
そこに夢がある。夢の為には

★目の前のタスク(雑用)をこなしてバディに認められなきゃいけない
→リスク回避しつつこなす
★そこに愛する女性がいる
→ちゃんと恋人になりたい→地位を得なくちゃ→バディに認められなきゃ
→彼女を悲しませたくない→映画をポシャにしたくない→修正してでも形にしてあげたい

って言う感じで、まるでロ−ルプレイングゲームのように淡々と
「霧の中」のハリウッドを突き進んで行く。
彼は天才でも異常な人でもドMでもなくて
「目標のために頑張る」という小学生の標語みたいなことを
ひねくれずに狂わずにやりぬける「具体的な夢のある、ただただ素直で真面目な人」
だなと私は思いました。
こういう人は本当に羨ましい。だって夢の為にまっすぐ努力ができる。
もっと人格者で才能を伸ばせる上司のもとについたなら。
脚本一本で勝負しよう!という気持ちがあって、
そういう人のいい本がきちんと採用される映画界だったならば。
きっとガイは脚本家として、明るい人生を送れたかもしれないのです。



最終目標(ドーンと愛し合い続ける、脚本家として映画界でのし上がる)
ための小タスクをこなし続けるうちに、
ゲームの世界で装備や強さがレベルアップするように彼自身も変わっていく。
本人の最終目標も、気持ちも、変わってはいないんです。
ずっとドーンが好きで、ずっと脚本家として一流になりたくて
パワハラ職場でも頑張って、そそっかしくて一生懸命なガイのままなんだけど、
ストレス(パワハラ&人格否定)を受け続けた心が
柔らかいままでいられるわけはなく。
場数を踏む度に経験値は上がり、装備も心も強くなり、頭の回転も速くなる。
それは成長でもあるし、闇に落ちるとも言える・・
バディや映画界の男社会を嫌うドーンや、
あの初期の純情童貞()みたいなはるた・・ガイたんを知っている
我々からみると
ガイの最終目標への着実なロールプレイングゲーム

ガイたん、闇堕ちへの道

にしか見えないのだ。嗚呼、人とはなんと哀しい生き物なのか。
ガイは頑張っているのに。
彼はパワハラを容認してはいない。辛くて苦しくて、
夢を叶えればここから抜け出せるんだと頑張っていて、
しかもかなり順調に進めているのに(物語は1年以内の出来事)
夢への道と、闇堕ちへの道を、
本人が自分の為に強くなればなるほど 無意識のうちに同時進行で歩んでしまっている

というのがめっちゃ怖い。なんだこれホラー??
つまり、まっとうな人間は成功できない世界なんだと言うことなんですよ。
マフィアかな?


「まっとうな人間をやめる」覚悟をしたわけでもなく
本当に無意識のうちにそんなマフィ・・映画の世界の
トップあたりの人間になってしまっていたガイくん
タスクをこなし続けられる素直さがあったばっかりに・・(泣)





一生懸命頑張ったのに、結局自分はバディに切り捨てられる運命だった上、
愛するドーンからは「映画界で成功した今の自分」は受け入れてもらえず
(ドーンは、闇堕ちする前のガイで良かったんだよね。ああここが哀しい。)
バディかドーン、仕事か恋。まるで映画の様な選択肢

彼が仕事を取ったのは、ドーンの言う「また1から頑張ればいいじゃない」が絶対嫌だったからだと思うんです。
俺が雑用にも暴言にも人格否定にも耐えて
恋人も失って 血反吐を吐いた1年を
この地位を捨ててやり直せだぁ!?
ふざけんな!!!!!!!

というやつです。うん。ドーンのいうこと間違ってないよ。
バディはクソだし、ガイは変わってしまった。だからゲームをリセットして、
もう一度正しい道の為にやり直そうよ?ということ。正しいよ。
ドーンはそれが出来た。自分の経験があるから、彼を正しく導こうとしている。

でもガイは、できなかった。
映画界でのし上がることがどんなに苦痛を伴うか、
どれだけやらなければ映画界で輝けないのか知ってしまったから。
バディのもとを去ったら、「また1から」やり直さないと、脚本家に・・なれない。
それは嫌だ!!
「また1から」がただただ本当に本当に嫌で、無理で
バディを選んだんだと私は思いました。
でも人間、そうだよね?
自分が1年かけて必死で書き上げた論文(手書き)を破棄されて
「もう一回書いたらもっといいものになるよ!」
って言われたら刺しますよね?(物騒)(違)
何度も言うけどガイは、自分にも、他人にも、素直なんだよぉ。
決して、悪者ではないんだよ・・
















銃を放つ直前、ガイが悲痛な声を絞り出して言ったごめんなさいという言葉。
彼はその時まだ人間だったんだと思う。心に柔らかい部分のある人間・・
バディを選んで、会社のNo3になったガイ。
「唯一の存在」だったドーンを自分で殺して
「いつか地に足のつく場所で、自分の撮りたい映画を撮る」こと夢見た
自分を捨てて、「バディが体現する映画の世界」で生きることを決めたガイ。




誰もいなくなったオフィスでかたかたなるおもちゃをならして突っ立っているNo3。
「死」を意味する青も消えて、舞台が真っ暗になっていって・・

ああ、この人は全部ぜーんぶ失って、
死の概念すらない暗闇の深海でずっと生きていくんだ

って分かったら、もう震えた。悲しくて・・
だって初めて事務所に来た日のおどおどした彼が、
腕まくりして慣れない仕事一生懸命頑張る映画が大好きな彼が、
ドーンにデレデレしちゃう彼が、変な動きしちゃう彼がもう大好きになってたから(泣)
ガイあんなに頑張ったのに、
彼が大好きだったもの・・映画への憧れも情熱もドーンも全部永遠に消えてしまったんだ
と思ったらしんどくてしんどくて。




もうガイには来世で幸せになって欲しい。
今世は、きっと、無理なんだろうな。
海の底で、何にもない世界で
終わりを待つんだろうな

君の名前で僕を呼んで 原作読んだ感想

ねたばれ
原作すごい!!!!!!
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死んだ(2度目)



  







はああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっ






辛い(2度目)
世界はエリオちゃんに優しいのか、優しくないのか??





原作チラ見しつつ2回目も観に行ったんですが、その感想は別にします。
とりあえず、、、、、、
Call me by your Name
にそんな深い意味があったとは。
君の名前で僕を呼んで、というのは、私は「二人だけの秘密」の象徴だと思ってたんですね。
あの夏を忘れない為の。例え相手の名前を忘れても、自分が生きている限り彼を思い出す為の。

だけどそれは
「彼は私以上に私だったから」
「それは彼だったから、それは私だったから」
「僕の体は君の体だ」
というように本文の中で何度も表されるオリヴァーとエリオの「一体化」を示す言葉だったんだと気づかされた。

君の名前で僕を呼んで、というのは二人の愛を忘れないでという言葉でもあるし
それ以上に、二人で一つであることを確認する為の言葉だったんだと最後に気づいて
鳥肌がざわざわたった。

こんなにも主張されていて(題名だし)何度も見聞きした君の名前で僕を呼んでという言葉で
あり得ない位心が揺さぶられてしまった・・



原作を見て思うのは「エリオ、心動き過ぎ!」ということ。
エリオは理論整然とした子だし、小説の文章になっているものなんだから精査されているはずなのに
なんか読みにくい??と思ったのはエリオの気持ちががったんがったん動きまくって追いつけないから。
そしてその揺れ動く気持ちを例えた比喩が美しすぎるし高度すぎるのだ!!!さっすがエリオ!!!!
世界 美しい比喩辞典に掲載して欲しい。
始めこそ、ここのエリオはどういう気持ちなの??
この考えに至ったのはなぜ??
とか考察厨の悪い癖で色々考えてたけど、それをやめて揺れ動く17歳の気持ちに身を任せたらスッと読めましたわよ。
17歳ってそういうものだと思う。まだ何でも分かる大人じゃない。不安定な歳。
最初からオリヴァーが好き、という気持ちはあるのに、
彼の一挙手一投足にグラグラしてあーでもないこーでもない、
でもああやってたからこうなのかな?いやそんなわけない、だってだって・・!!!
と知識ばっかり詰まった頭と豊かな感受性があだとなってあわあわしてるエリオちゃん・・
カワイ〜〜〜〜〜!!!!!
そのあわあわを出さずにスンっとした顔してんのもまたカワイイ。
本当は「帰らないで、結婚しないで、ずっとずっと傍にいて」
って子供エリオは言いたい筈なのに、賢いエリオ(知識)が
「そんなの無理だよ。彼には向こうの生活もあるんだよ」って囁いてて、
全て自分で答えを出してしまうから、
別れた後も、再会しても、ずっと口に出せないエリオが・・ああああああ〜という感じで。

それはオリヴァーも似てる所があるというか、
好きって気持ちはあったけど「嫌がってるぽかったからモーションかけるのやめた」
とかシャイ故にエリオを見つめる目が鋭くなってしまうとか コミュ症あるある
カワイ〜〜〜〜〜!!!!!
いやいや!!!エリオちゃんに言ってあげてよ!!!
エリオちゃん嫌がってないよ!!!!?????
その目つきが怖くて「きらわれた・・(しゅん)」ってエリオちゃん何度もなってるし
それを避ける為に色々考えすぎて脳内大混乱になってるからさぁぁぁ!!!!

そして思うのです。
もしオリヴァーがめちゃめちゃ恋愛慣れしたプレイボーイで、
もしエリオが脳みそそんなにない愛に猪突猛進なティーンだったなら・・?
この恋・・永遠だったのかなって・・???
(これはこれで面白そうだけどコメディーになりそうだ)
(多分舞台はイタリアとかじゃなくて南海岸とかになるわ)












そして季節は秋になり、二人は別れ・・
そのあとエリオちゃんがアメリカに留学したり、オリヴァーがイタリアに住んだりしてるのが、泣けた。
二人とも賢いから、賢い故に、もう二人ではいられないんだと自分に思い込ませてるし
公言してるのに、
それでももしかしたら、もしかしたら、というのが溢れちゃってるのが切ない。
会いに行けなくても、家族がいても。
「自分は道を踏み外しませんよ。でも彼は、もしかしたら・・」という相手に託す様な気持ちが見えてしまう・・
もしかしたらエリオは、オリヴァーは、自分を尋ねてくるかも、
会えるかも・・
もう一度あの日々を二人で、という高い(?)望みではなくて、ほんの少しでも彼の成分に触れられたらというような
ささやかな願いを持っていたのかもしれません。

お互いに好きだという気持ちはずっとあるけれど、
二人はもう一度抱き合うことができない。
家族や仕事、世間体を捨てられないというのは言い訳で、
もう一度手を取り合うことは簡単なはずなのに、
その恋の熱量で体を動かすことは年を取ると億劫になっていって
二人はそれをもう出来ない
というのが分かってしまって・・
だって、二人は隣にいて、お互いを愛し合っていて、
別れたときのまま時を止めた気持ちが永遠にある訳だから、理論的に言えばすぐにでも抱き合えるのに
自分のまわりで勝手に動いてしまった時間と環境と、その中で生きて来た自分の存在が
そうさせてくれない・・
「いろんなタイミングを逃してしまって、今一緒にはいられない二人」
なのだと理解しているエリオがしんどかった

あーーーー!二人がもっとバカだったらよかったのに!!!!

うじうじ考えるな!!!Don`t Think!!!Feel!!!!!
ってブルース・リーが言ってたでしょうが!?!?!?!?!?
もっと口に出して、もっと体を動かせたら、いいのに
互いに、もう一歩だけ、踏み込めたらいいのに・・






あ〜〜〜〜しんどいしんどい。
それでも、オリヴァーがエリオのことをずっと愛し続けて、
イタリアでのことを後悔してないと分かったことは
原作を読めて良かったことの一つかも。
オリヴァーにとっては妻も子供も今の生活も愛しい物で、
それとは別の次元でオリヴァーのことも愛し続けている。
「いくつもの自分がモザイク模様をつくる」という作中の台詞はこういうことなのかな、と思ったり。
ものすごく酷いことだけど、人間が生きて行く上では起こりうること。

ラストシーンのエリオ、オリヴァーを振り返ったときの彼は、
きっと17歳のエリオの顔をしていたと思う。
オリヴァーに、最後までなにもねだれなかった彼のただ一つの望みが、アレですよ。

どうして二人は一緒になれなかったの?
と考えた時に。
二人がそのように行動したから。
としか言えない。のかもしれない。
二人が出会ったことは運命だったけど、二人の別離は必然ではなかったと思う。
人生最高の瞬間をあのイタリアの夏に閉じ込めて、
自分の墓標も互いの心に建てた、それほどのまばゆい愛だったのに、
それを中心に自分の人生を進めることはできなかった。
ドラマのように、そのために全てを捨てる強さと無謀さを、持てなかった。
そのことがあまりにも切なくて、苦しいんだと思う。私が(お前かよ)
「好きなのに、一緒になれない」という事実の羅列を
人の気持ちを通して描ききれるアンドレ・アシマンさんも、
映画化に関わった全ての方もほんっっとに凄すぎる。本当に。



最後に思うのは、死が二人を分つまで、二人の心は永遠に同じ場所にあるということ。
もしかしたら、死んだ後も。


PS
私は、原作の更にその後の続編
「70代と60代になった二人、今度は死ぬまで一緒にいよう」も
「転生して再会」も諦めきれないよ。グスン。

<ただの>結婚式、それはキラキラのハリボテ<愚痴>


アッー!!!

仕事の愚痴です。ただの、ハイ。

私ブライダル業というやつをちょっとやってるんですが、

ブライダル業あるある

「自分が結婚式挙げたくなくなる」

というのがありまして、

えーっ?おっかしいな〜〜なんでだろ〜〜?

楽しいじゃん〜〜?

(江戸川コナン)

という気持ちを持ってたわけです。


しかし‥最近気づいてしまった‥

ブライダルって‥というか、結婚式って‥

壮大な狂言というか、盛大な作り物というか、ハリボテじゃん‥と‥


そりゃ、「2人とプランナーとお客さんで、作り上げるもの」なんだから作り物って言いかたは当然、とも思うのだけど、

まずですね、

★スタッフはほぼバイトです()

当日来て、初めてサービスするような18歳の学生の子もいます。

ブライダルサービスの仕事は時給が他のサービス業に比べて比較的高いので、学生が多いのです。その多くは派遣会社に登録してる派遣のスタッフ。

研修などは場所によってやったりやらなかったりで、スタッフのスキルもバラバラなので、当たり外れの差が凄い。


★忙しすぎて社員もスタッフも目が死んでる

ブライダル業は忙しい。

なぜなら、やることがめちゃくちゃ多いから!!!!

サービスだけやればいいのではなく、会場を設営、バラす、見学に来る方のための会場(見せる用)を設営、バラす、

グラスやシルバーも磨き上げ、会場を掃除し、翌日の婚礼などのために皿などを準備する‥

やることが多い!

地味な下準備がめちゃくちゃ多い!

そして人手は足りない!

忙しくて社員の目が死ぬのは分かるが、

そういう社員は大体バイトにきつく当たるので、バイトの目も死ぬし、

しかし働いてるスタッフの9割はバイトなのでこれでスタッフ10割の目が死ぬことになる悪循環‥!


★掲載されてるやつがそのままできるわけではない!!

結婚式場は大抵「ゼ◯シィ」とかホームページに掲載する写真を撮る。

白亜の会場、綺麗すぎる新婦(モデル)

イケメンすぎる新郎(外国人)と友人達

国際結婚かよ!

というツッコミは置いておいて、

そう、これこそがハリボテなのだ。

この写真をとるためにこっちは朝から会場作ったりバラしたり作ったりバラしたりを繰り返すが、

実のところこのためだけに搬入している機材や小道具があるので、

「実際に作れる会場とは異なります」ということ、多いにある。あくまで一例。   


ここでふと思ったのが、

「目の死んだキツイ社員と、裏でどやされて顔が死んだバイトが作り出す空間は幸せなのか‥?」

めちゃくちゃ金がかかってるのも、当人達の思いも分かってるから、こっちは問題が起こらない様、笑顔でサービスしてますけども、

あるとき不意に虚しくなるのです。


結婚式の時だけ教会で誓います、とかアーメンとか言ってるのもなんだかなぁ、だし。

ファッション祈りですか?

‥いや、そんなこと言ったらクリスマスとかもそうなんだけどね!すいません!


なかなか難しいです。

このところ口角は上がってるのに目は時折死んでるらしくてやばいです。

そりゃ目死ぬよ!楽しくないもん!

スタッフ達の冷めかた見てたら目死ぬよ!



ああ‥

心が死んでも仕方ない場所だなぁと思ってしまいます。

小綺麗な2時間半の裏に、前日に7時間、当日2時間の準備と片付けに1時間半かかってるし、大体バックヤードというのは皿の洗浄機とか残飯入れとかそういうのごごったになった空間で、

空気は悪いし暑いし精神衛生上という意味では最悪最高値を叩き出す場所なのです。

ずっといたら目も死ぬし、性格も悪くなる場所だと理解できるから、キツイ社員にも泣いちゃうバイトにもどちらの気持ちも分かってしまう。

自分の心、今日欠けたなぁ‥と思った日には

君の名前で僕を呼んで」サントラをガンガン聞いて心を編みなおしています‥

めっちゃキくし、早く辞めて心が欠けない環境で生きよ‥と思います。

おススメです。