君の名前で僕を呼んで 原作読んだ感想

ねたばれ
原作すごい!!!!!!
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死んだ(2度目)



  







はああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっ






辛い(2度目)
世界はエリオちゃんに優しいのか、優しくないのか??





原作チラ見しつつ2回目も観に行ったんですが、その感想は別にします。
とりあえず、、、、、、
Call me by your Name
にそんな深い意味があったとは。
君の名前で僕を呼んで、というのは、私は「二人だけの秘密」の象徴だと思ってたんですね。
あの夏を忘れない為の。例え相手の名前を忘れても、自分が生きている限り彼を思い出す為の。

だけどそれは
「彼は私以上に私だったから」
「それは彼だったから、それは私だったから」
「僕の体は君の体だ」
というように本文の中で何度も表されるオリヴァーとエリオの「一体化」を示す言葉だったんだと気づかされた。

君の名前で僕を呼んで、というのは二人の愛を忘れないでという言葉でもあるし
それ以上に、二人で一つであることを確認する為の言葉だったんだと最後に気づいて
鳥肌がざわざわたった。

こんなにも主張されていて(題名だし)何度も見聞きした君の名前で僕を呼んでという言葉で
あり得ない位心が揺さぶられてしまった・・



原作を見て思うのは「エリオ、心動き過ぎ!」ということ。
エリオは理論整然とした子だし、小説の文章になっているものなんだから精査されているはずなのに
なんか読みにくい??と思ったのはエリオの気持ちががったんがったん動きまくって追いつけないから。
そしてその揺れ動く気持ちを例えた比喩が美しすぎるし高度すぎるのだ!!!さっすがエリオ!!!!
世界 美しい比喩辞典に掲載して欲しい。
始めこそ、ここのエリオはどういう気持ちなの??
この考えに至ったのはなぜ??
とか考察厨の悪い癖で色々考えてたけど、それをやめて揺れ動く17歳の気持ちに身を任せたらスッと読めましたわよ。
17歳ってそういうものだと思う。まだ何でも分かる大人じゃない。不安定な歳。
最初からオリヴァーが好き、という気持ちはあるのに、
彼の一挙手一投足にグラグラしてあーでもないこーでもない、
でもああやってたからこうなのかな?いやそんなわけない、だってだって・・!!!
と知識ばっかり詰まった頭と豊かな感受性があだとなってあわあわしてるエリオちゃん・・
カワイ〜〜〜〜〜!!!!!
そのあわあわを出さずにスンっとした顔してんのもまたカワイイ。
本当は「帰らないで、結婚しないで、ずっとずっと傍にいて」
って子供エリオは言いたい筈なのに、賢いエリオ(知識)が
「そんなの無理だよ。彼には向こうの生活もあるんだよ」って囁いてて、
全て自分で答えを出してしまうから、
別れた後も、再会しても、ずっと口に出せないエリオが・・ああああああ〜という感じで。

それはオリヴァーも似てる所があるというか、
好きって気持ちはあったけど「嫌がってるぽかったからモーションかけるのやめた」
とかシャイ故にエリオを見つめる目が鋭くなってしまうとか コミュ症あるある
カワイ〜〜〜〜〜!!!!!
いやいや!!!エリオちゃんに言ってあげてよ!!!
エリオちゃん嫌がってないよ!!!!?????
その目つきが怖くて「きらわれた・・(しゅん)」ってエリオちゃん何度もなってるし
それを避ける為に色々考えすぎて脳内大混乱になってるからさぁぁぁ!!!!

そして思うのです。
もしオリヴァーがめちゃめちゃ恋愛慣れしたプレイボーイで、
もしエリオが脳みそそんなにない愛に猪突猛進なティーンだったなら・・?
この恋・・永遠だったのかなって・・???
(これはこれで面白そうだけどコメディーになりそうだ)
(多分舞台はイタリアとかじゃなくて南海岸とかになるわ)












そして季節は秋になり、二人は別れ・・
そのあとエリオちゃんがアメリカに留学したり、オリヴァーがイタリアに住んだりしてるのが、泣けた。
二人とも賢いから、賢い故に、もう二人ではいられないんだと自分に思い込ませてるし
公言してるのに、
それでももしかしたら、もしかしたら、というのが溢れちゃってるのが切ない。
会いに行けなくても、家族がいても。
「自分は道を踏み外しませんよ。でも彼は、もしかしたら・・」という相手に託す様な気持ちが見えてしまう・・
もしかしたらエリオは、オリヴァーは、自分を尋ねてくるかも、
会えるかも・・
もう一度あの日々を二人で、という高い(?)望みではなくて、ほんの少しでも彼の成分に触れられたらというような
ささやかな願いを持っていたのかもしれません。

お互いに好きだという気持ちはずっとあるけれど、
二人はもう一度抱き合うことができない。
家族や仕事、世間体を捨てられないというのは言い訳で、
もう一度手を取り合うことは簡単なはずなのに、
その恋の熱量で体を動かすことは年を取ると億劫になっていって
二人はそれをもう出来ない
というのが分かってしまって・・
だって、二人は隣にいて、お互いを愛し合っていて、
別れたときのまま時を止めた気持ちが永遠にある訳だから、理論的に言えばすぐにでも抱き合えるのに
自分のまわりで勝手に動いてしまった時間と環境と、その中で生きて来た自分の存在が
そうさせてくれない・・
「いろんなタイミングを逃してしまって、今一緒にはいられない二人」
なのだと理解しているエリオがしんどかった

あーーーー!二人がもっとバカだったらよかったのに!!!!

うじうじ考えるな!!!Don`t Think!!!Feel!!!!!
ってブルース・リーが言ってたでしょうが!?!?!?!?!?
もっと口に出して、もっと体を動かせたら、いいのに
互いに、もう一歩だけ、踏み込めたらいいのに・・






あ〜〜〜〜しんどいしんどい。
それでも、オリヴァーがエリオのことをずっと愛し続けて、
イタリアでのことを後悔してないと分かったことは
原作を読めて良かったことの一つかも。
オリヴァーにとっては妻も子供も今の生活も愛しい物で、
それとは別の次元でオリヴァーのことも愛し続けている。
「いくつもの自分がモザイク模様をつくる」という作中の台詞はこういうことなのかな、と思ったり。
ものすごく酷いことだけど、人間が生きて行く上では起こりうること。

ラストシーンのエリオ、オリヴァーを振り返ったときの彼は、
きっと17歳のエリオの顔をしていたと思う。
オリヴァーに、最後までなにもねだれなかった彼のただ一つの望みが、アレですよ。

どうして二人は一緒になれなかったの?
と考えた時に。
二人がそのように行動したから。
としか言えない。のかもしれない。
二人が出会ったことは運命だったけど、二人の別離は必然ではなかったと思う。
人生最高の瞬間をあのイタリアの夏に閉じ込めて、
自分の墓標も互いの心に建てた、それほどのまばゆい愛だったのに、
それを中心に自分の人生を進めることはできなかった。
ドラマのように、そのために全てを捨てる強さと無謀さを、持てなかった。
そのことがあまりにも切なくて、苦しいんだと思う。私が(お前かよ)
「好きなのに、一緒になれない」という事実の羅列を
人の気持ちを通して描ききれるアンドレ・アシマンさんも、
映画化に関わった全ての方もほんっっとに凄すぎる。本当に。



最後に思うのは、死が二人を分つまで、二人の心は永遠に同じ場所にあるということ。
もしかしたら、死んだ後も。


PS
私は、原作の更にその後の続編
「70代と60代になった二人、今度は死ぬまで一緒にいよう」も
「転生して再会」も諦めきれないよ。グスン。